- 由緒
この地に往昔「鬼石」と呼ぶ大石あり、この下より湧き流れる水を飲んだ者は必ず病に罹り或は、死する者有り、村人は嘆き悲しみの時期、永徳2年(北朝・御円融天皇御代)弥生の頃、山城国葛野郡平野(現京都市)の僧・(宥法)修験の行脚の砌、村人の哀願に遭い「宥法」この地に草居し七日七夜加持祈祷をしたところ、水毒は消失する、そればかりか病者は直に平癒した。この霊験により僧宥法は、この地は神の叶う処と悟り、この清水を「延命水」と名付け、自らこの地に堂宇を奉り、雲南大権現と称し、別当所も設け、鬼石山来光院延命寺と定め、以後この霊水を延命水と言い伝え候。(天保14年卯年12月記社蔵縁起)・御社殿は、永徳2年2月、引地山城守の建立であったが、桃山時代の文禄2年8月火災の為、神鏡を残して悉く焼失した。・慶長2年引地山城守の分家、肝入七郎右衛門によって、再建された社宇が現在の神社であり、明治5年、山神社と改称し同6年8月村守に列せられた。
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