- 由緒
葉山神社は中世に石峰山麓に建立された別当寺であり薬師堂と称され石神社の里宮とされてきました。明治初年に現社名に改められました。延徳2年(室町時代)に玉岸法印が石峰山日光寺開山とすると記録にあり、仏教と山岳信仰が結びついた修験者の行場とされ以来法印号を市明院と称して明治5年の神仏確立令が出されるまで、宮司家も代々法印として奉仕をしてまいりましたが以後は神職として現在に至ります。明治5年以降は、石峰山遥拝の里宮葉山神社として、御祭神は、病気平癒や医薬の神として崇拝され、一寸法師のモデルだとも言われ、知られる少彦名神を祀り、御神体は薬師如来坐像である。この座像は宮司家初代千葉助太郎平義清が河内国より守本尊としてこの地に落ちのび鎮祭すると社記にあり運慶の作と伝わる。この座像は十二年に一度亥年に御開扉される。伊達家藩主代々が参詣されたという境内には二代藩主忠宗公手植えと伝えられる「ひいらぎ」の木二株がある。
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