- 由緒
本社の鎮座年月は明でないが、此の地は往古陸奥国の府内(東門外)にして陸奥国府に属する総社である。(総社を奏社としたのは後世の誤りで近年現社号に改めた)従って歴代の国司の奉斎するところであった。鎌倉時代となっては奥州留守職伊澤氏之れに代り祭祀料として三千刈の地を寄進したといわれる。このことは天正頃廃絶した。伊達政宗のこの地に封ぜられるや当社の再興に意を注ぎ、別当寺市川山神奏院(真言 塩竈法蓮寺末寺)を置き社務のことを司らしめた。歴代の藩主亦尊崇篤く、しばしば親拝代参等のことがあった。明治4年10月村社列格。大正12年8月供進社に指定された。これより先、明治41年貴船神社外7社を合併している。(宮城県神社名鑑より転載)
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