- 由緒
応和3年(963)此地に勧請。文治5年(1189)8月源頼朝が奥州征伐の折藤原泰衡が現台原丘陵に退き防衛の陣を張り頼朝の軍勢は二本杉の辺りに進み丁度この社に詣でた際、折しも朝日が昇ってくるのを見た事に当社の名を残したと言われる。又守子の社と称され朝日神子が農村の子達を集め読み書きを教え又幼児の守護神として百日咳を癒す霊験有りと信ぜられ守子の社の名が伝えられたともある。 朝日神子(巫女、かんなぎ)は寛文年間に当社に仕えた傍ら付近の田畑の開墾水利を推考して桜田川、梅田川を開き耕作の便を与えた。 当社の東隣にあります二本杉(樹齢650年)2本杉通の由来でもあり、仙台市の保存樹木に指定されている。
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