- 由緒
神功皇后の勅願に依り東奥鎮護のため牧山(龍巻山)の地にこの神を鎮め祀るという。(社伝)爾来皇室をはじめ国司、領主の崇敬篤く清和天皇の貞観元年(859、平安)正月27日即位の大礼を挙げさせ給うに際し、京畿七道諸神に進階及び昇叙のことあり、惣267社陸奥国六社の一として郡内正五位下勲六等から従四位下に叙せられた。(三代実録)醍醐天皇延喜の制には国幣大社として名神に列せられ名神祭に預る。(延喜式)又、奥州平泉の藤原清衡の神宝献納、源頼朝よりの須賀の市諸役御免の制礼、葛西氏の社宝奉納、伊達家の社領寄進等があり、(社蔵文書)中世は葛西領七郷の総鎮守であった。祭事の盛大であったことは奥羽観蹟聞老志はじめ諸地誌に詳記している。現在の拝殿は、安永8年上棟の建物に昭和10年に、本殿、幣殿、瑞垣等は昭和3年から同17年の間に修改造したものである。明治7年4月郷社に、昭和17年9月県社に列せられた。
平成29年1月、湊字藤巻の藤巻稲荷神社を合祀。
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