- 由緒
仁徳天皇55年(367)東夷叛し、田道をして之れを討たしめ給うにあたり、渡海安全を五十鈴川上内宮末社猿田彦大神に勅願あり無事東奥伊寺之水門鳥屋崎に着船す。官軍しばしば利あり因って当所にこの神を祀ると伝う。(口碑)延喜の制小社に班す。(延喜式神明帳当郡十座の一)後、文治2年(1186、平安)藤原秀衡羽州羽黒山より分霊して倉稲魂神大物忌神を相殿に祀り篤く崇敬する。御社号は御社が鳥屋崎におわすより鳥屋崎神社、又は羽黒権現社と称したが明治の初め現社名に改める。中世以降石巻港開け千石船の出入多く、海上安全の守護神として信仰され現に船名を記した大額が掲げられている。又、仙台藩主の崇敬篤く伊達吉村は享保9年百疋ないし三百疋を献じ参詣している。現在の社殿は寛延3年の造営にかかり、文化13年、明治35年改修造を加えたものである。明治7年4月村社に列し、同40年3月幣帛供進社に指定された。
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