- 由緒
西荒井字車に鎮座。祭神は武甕槌命にて、後陽帝の御宇、慶長2年9月9日伊達相模守が陸常国鹿島大明神の神徳を追感奉り、之を分霊して社殿を営み、村鎮護の神として創祀したものである。相模守は又社領及寶鏡を寄進せられた。もと、別当は鹿島山善覚院であったが、明治維新の際之を廃して社家を置いた。創立の地は、澁井川南岸を離る三丁余現今の太田園の地に勧請したもので、今尚社趾を遺存している。郷人之を本鹿島と呼んでいる。この本鹿島の地は低地で禍害あり、社殿を損ずることが多かったので、元禄元年現地に奉遷した。当社は、往時より鹿島大明神と称してあったが、明治5年5月村社に列格すると共に鹿島神社と改めた。明治44年澁井川築工の際移転の許可を得、同年6月起工同45年4月竣工して遷宮式を執行した。昭和21年2月11日宗教法人令により社格が廃止された。境内神社として子安社、子安社の祭神は木花咲野比女命で、安永年間の創祀である。
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