- 由緒
本社は正親町天皇、天正2年(1574)3月23日相馬盛胤の一族亘理美濃守の臣、坂元参河が蓑首城本丸に勧請したといわれ、元妙見宮と称した。別当は真言宗金蔵寺、坂元参河が遠田郡桶谷に移封された後も、城主となった後藤、黒木、津田、大條と数人替りしが、皆鎮守の神として厚く崇め祀った。明治2年4月北辰神社と改称した。明治42年3月、村社神明社(寛文創祀)村社愛宕神社(寛永9創祀)をはじめ他の村社と無格社を合祀して坂元神社と改めて、村社に列せられた。昭和8年12月、供進社に指定された。本殿は天正年中の造営で荘麗な建築である。拝殿は大正8年被合祀した神社の境内の樹木を伐採して造営した。境内地は杉うっそうとして極めて神々し、明治44年旧城主伊達宗亮氏村民の請を容れて旧城域755坪を寄進された。更に大正2年桜樹百本の奉納があり旧城域に配植したので公園の如く春は花、夏は翠りと風景頗る良き神域となった。
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