- 由緒
大同2年(807)の創建と伝えられ、花釜浜の守護神社である。偶々神の御詫宣あり。「青キ巣ノ中ニ、仮宮ト為シ、氏子数多ク取出テ、繁昌サセナン」と。依って神社の名を青巣と称するに至ったと伝えられている。文治5年(1189)9月、奥州平泉藤原氏の臣岩佐八郎太左衛門外6名、当花釜浜に居を構え、社殿を修築した。その後、寛政8年(1796)9月、住人岩佐幸吉なる者、京都吉田家に乞い、宗源宣旨を以て正一位稲荷大明神の神号を授けられた。明治の始め、現社号に改め、同6年1月、村社列格、大正7年4月幣帛供進神社に指定された。これより先、明治41年11月、横山地区にあった日吉(万治2年勧請)、翌年12月八手庭地区にあった熊野(貞応2年勧請)の2社を合祀している。境内(1,280.4㎡)には、桜、椿、センダン、ヒマラヤシーダ、イチョウ、梅、ヒノキ、カシ、等の樹木があり神域を作っている。拝殿西北隅に隣接して、直径60cmぐらいの常緑樹があり真黒の実をつける。「タフの木」(樟木科)という珍木である。4月3日の例祭には、神輿は、まず、海浜に出御。神輿の扉を開き、海水を浸した祓串で御神体を祓う。供奉員も同様に修祓を受ける。神輿洗の神事という古例による。
- 地図
- 動画