- 由緒
佐倍乃神社は、元禄2年俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」行脚の時、「笠島はいずこ五月のぬかり道」とよんだ句にある名取市愛島笠島に鎮座している神社で「笠島道祖神社」と称しました。祭神は猿田彦神と天鈿女命で、例祭は4月20日としております。本社の創建については、一に景行天皇の御宇日本武尊東征の際といい、或は垂仁天皇の御宇八津峯に鎮座あり、雄略帝の御宇宮社を造営するともいわれる。室町時代大永2年(1522年)10月23日本殿造営され、桃山時代文禄元年(1592年)2月15日伊達政宗公社殿の御修繕をされました。慶長7年(1602年)の野火に罹り、社殿及び頼朝以来の古文書什物等悉く焼亡した。江戸時代の元禄13年(1701年)伊達綱村公拝殿を御修造し、祭田2貫文を寄進、享保17年(1733年)7月正一位の神階を授けられた(宗源宣旨)等々のことがあり、歴代の藩主領主等厚く尊宗した神社であります。明治の初め道祖神社の社号を現社号の村社佐倍乃神社に改めた。明治41年11月郷社列格、同43年3月供進社に指定された。これより先佐具叡神社外10社を合祀した。祭神の猿田彦神は、天孫降臨の際道を開きご案内した事から道の神と、又御夫婦の神である天鈿女命と共に人間生活の道を守るところから縁結び、夫婦和合の神と祀られております。例祭日には宮城県指定無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納されます。尚平安朝時代の長徳4年(998年)左近衛中将藤原実方朝臣馬上にて社前を過ぎたところ、この神はその非礼を咎め為に、実方は馬と共に斃れ死んだと伝えられており、その墳墓は当社より北方700米の塩手字北野にあります。
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