- 由緒
当神社の創草については詳でないが続日本記に桓武天皇の延暦9年11丁亥25日(790、奈良)に官社に進められた。又仁明天皇の嘉祥3年12月(850、平安)即位の恩典により昇叙の事あり、続日本記、続いて醍醐天皇の「延喜式神名帳」に陸奥國黒川郡四座の一に登載された。社名の示す如く社の傍に高十余丈の巨石の基に神社が祀られ古代の信仰の姿を示している。又、本殿の前には坂上田村麿将軍が蝦夷平定の奉賽に植えたと伝へる囲5米余の老杉が空をついている。江戸期岩上大明神と称されていたが明治5年1月村社に列すと、旧来の石神山精神社と名称を改めた。明治42年5月27日高田村字要害の運難神社、吉田村字山神に鎮座山神社の両社を合祀する。
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