- 由緒
源義家の勧請(神体は兜は当時のもの)と伝えられ岩出山八幡宮と稱した。天正18年(1590)大崎一揆の時大崎義隆の一族一栗村領主、氏家兵部と接戦、政宗非常に苦戦し八幡神社に祈誓したところ、神霊政宗の夢の中に顕われ、奇異の御詫宣あり栄功を得たと云われている。一揆平定後、社殿造営し、社領三貫文を寄進した。政宗慶長7年仙台城に移るに当り、八男三河守宗泰をこの城に留めたので、祭事興行の事は明治の初めまで岩出山城主に依って行われた。明治5年水沢県開創の際、村社に列した。依って氏子等神殿を修繕、同9年4月大火の際、長床及境内の樹木等ことごとく焼亡したが、神殿のみは依然残った。同12年6月郷社に列せられ、大正5年1月供進社に指定された。これより先、大学町の愛宕神社、竹駒神社、下金沢の神明社を合祀している。
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