- 由緒
当社の創祀年月明でないが、往古より荒湯(雄)川の水源に立つ大石2個(1個高さ9尺8寸、巾10尺8寸。1個高さ18尺5寸、巾9尺3寸)をば荒黄河大物忌命(或大物忌石)と奉称し尊崇していた。荒雄川流域36ヶ所に社殿を営み以て神霊の怒を鎮め奉った。よってこの社を36所明神とも称えて来たのである。天文年中羽黒派修験不動院(開山民部坊寿安)奉仕二世清元の代天正年中藩祖政宗岩手山在城の折若水桶及柄杓等を献じて尊信し同院に4貫50文の祭祀料を寄せた。明治5年社宇荒廃したので今の地に移祀し奉る。同8年5月村社に列格。大正10年2月供進社に指定された。氏子380戸(久瀬、小向、川東、原、田野、中川原、軍沢、寒湯、岩入、蟹沢)封内記に上宮村(今岩出山町池月字上宮)に36所、明神を載せ上宮村なるを式内社としている。思うに鬼首なるは奥宮(獄宮)で上宮なるは里宮(36所明神の1)であろう。祭神大物忌神とせるは社伝に従い、社号川の字を河に改めたるは延喜式によった。
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