- 由緒
後冷泉天皇の時代、天喜4年(1057年)8月陸奥の土豪安部頼時が乱を起こし、征討すべく陸奥守鎮守府将軍源頼義勅命をうけて奥州に出発の際、河内の国河内郡平岡八幡宮に祈り神幣を勧請して奥州名取郡舞台の地に八幡大神を奉りその所在地を比良平岡村と称し、ここを本営として武運長久のため誓願し、その成就するに至り、本社を造営し平岡村舞台八幡宮として尊崇した。その後紆余曲折を経て永禄年中(1560~1569)に、北目城主粟野氏が再興し、明治5年村社となる。その後二度の火災に遭い、その荒廃した姿さえなく、灰燼に帰してしまった。その為明治27年(1892年)頃に長町字西浦の蛸薬師堂境内に再建されたが、往年の面影無く氏子有志等復興を願いし折りに昭和14年仙台市片平町実業家青山秀次郎氏が稲荷神社の社殿並びに石灯籠御手洗等を寄進下されたるにより、氏子総代他役員大いに力を得て有志諸氏のご寄進を仰ぎこの境内に本殿を奉遷し両神社を合祀し拝殿の御造営を成就し、現在に至っている。永きに渡り使用して来た社務所も老朽化が進み、管理運営に支障をきたすため平成15年実行委員会を組織し、改築する事となり、平成16年3月末日を以って竣工となる。
- 地図