- 由緒
羽黒神社は和銅3年、以前より奥州陸前国名取郡山田村旗立山山頂に祀られて鎮座し、後冷泉天皇御代天喜4年陸奥酋長阿部頼時奥州の乱を起せるに当り、朝廷は陸奥守鎮守府将軍源頼義をして平定せしむ。その故をもって天喜5年9月(丁酉)霊験顕な羽黒神社を名取郡山田郷にあらためて社宇を勧請し、爾来山田村の氏神として崇敬祭祀し来たり明治5年4月村社として列せられる。この間治暦3年2月本社火災により焼失、村民あげて再建を果した。古く山田総鎮守羽黒権現社と称し別当寺を羽黒寺と呼んだが、明治のはじめ現社号に改められる。昭和41年羽黒台団地の開発造成するに当り本殿を現在地に移祀し今日に至っている。飛び地境内社社殿北側斜面の崖落により社殿や参拝者に危害を及ぼす危険性有り。この度仙台市都市計画により社殿上部に「縄文の森広場」整備事業として行なう擁壁設置の為当該地を仙台市に譲渡し仙台市により本殿廻り擁壁する事となる(平成16年5月11日神社本庁より承認受く)。
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