- 由緒
勧請年月日不詳なれど、中世(室町年中)、当時の名取郡北方三十三郷を領していた茂ケ崎城城主粟野大膳が沖野に西館(沖野館)を築くにあたり館内に粟野氏の氏神(武運長久守護神)として八幡神(神祠八幡宮を奉斎)を勧請したと云う。其の後、天正19年(1591、室町)沖野館も戦火に罹り、近世・元禄3年(1690、江戸)沖野村の村民現在の地に社殿を造立し奉り御神体を厳粛に遷座され(「御神体飛ンデ火ノ玉トナリ今ノ地ニ遷ル ヨリテ茲ニ奉祠セリ」との口伝承あり)、爾来、沖野村の鎮守の守護神八幡宮として尊崇された。(社伝)。元禄3年(1690、江戸)奉造立八幡宮 元禄三庚午 法印宥範(当社棟札記録)。明治5年11月、村社に列格。大正4年11月、幣帛供進社に指定される。昭和11年、沖野字無尻橋(現沖野6丁目、横堀東地区)の神明社を合祀する。昭和27年、「宗教法人八幡神社」となる(包括団体は「宗教法人神社本庁」)。現代(現在)は、沖野鎮座の守護神八幡神社として信仰崇敬され、今日に至っている。
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