- 由緒
後柏原天皇の文亀2年(1502、室町)二木村に住む勘右衛門なる者が伊勢参宮の際、近江国滋賀郡坂本(現滋賀県大津市坂本本町)に鎮座する日吉大社に詣で、大山咋神、大国主神、二神の分霊を請い願い、現在の地に勧請したという伝説がある。(社伝)。爾来、地方民これを産土神と崇め、社殿の改築修理怠りなく、明治5年村社に列せられ、同41年旧六郷村4区(二木、三本塚、今泉、日辺)の氏子総代等協議の結果、同43年9月三本塚の稲荷神社、日辺の八坂神社、日野宮八幡神社、宇佐八幡神社、今泉の熊野神社、八坂神社の六社を合祀し、今泉熊野神社本殿を本殿に、三本塚稲荷神社拝殿を拝殿に、今泉熊野神社拝殿を神輿殿に、今泉八坂神社拝殿を社務所に、従来の長床を神楽舎に充てて大改築を行い、同44年落成を告げたが、各社の氏子一団となり、各社所属の基本財産その他も併せて移管の上、大正4年維持方法を確立して官許を受け、同13年4月これが合祀記念碑を社前に建立した。是より先、大正4年11月幣帛供進社に指定される。祭例日には、日辺、今泉、三本塚、各方面に神輿の渡御があり、盛大に行われていたといわれる。昭和27年「宗教法人日吉神社」となる(包括団体は「宗教法人神社本庁」)。現在の神輿殿の中殿に二木、三本塚の大神輿、左殿に今泉の大神輿、右殿に日辺の大神輿をそれぞれ安置している。現在は、二木鎮座の守護神日吉神社として信仰崇敬され、今日に至っている。
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