- 由緒
後陽成天皇慶長8年10月14日に、藩祖伊達政宗公居城を岩出山より仙台に移すに当たり、仙台藩士平田五郎政高氏共に随い来たり、平田氏の先住地なる志田郡堤根村(現在の古川市堤根)より当時の苦竹村の現在地に遷宮せりとある。御祭神は豊受姫神にして五穀を御授け下されし神、即ち伊勢外宮に祭祀する豊受大神の御分霊にて五穀豊穣の守護神なり。村民は信仰厚く、正保年間の頃より苦竹村の産土神として崇敬又厚く、遷宮者平田氏の姓をとり平田明神と稱されしも、明治4年国家の崇祀として公認され平田神社と改稱、現在に至る。又、伝えられる所によれば、平田五郎政高氏は神霊の御加護の下、不思議の神力を得て度々の合戦に抜群の功あり、勇名天下に轟いたという。伊達政宗公当苦竹村通過の折は、必ず下馬の上参拝せしと記録されている。
- 地図