- 由緒
寛文12年(1672)仙台藩4代藩主となった伊達綱村は、塩釜の鹽竈大明神(塩竈神社)を修造する際に原田甲斐を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命し、塩竈神社の奉幣及び勅額を東六番丁にあった高福院境内に仮宮を設けて安置しました。当時は神仏混淆の時代のため、寺院と神社が同居していました。1680年に鹽竈神社が完成して御神体は塩釜に移されましたが『鹽竈神』を尊拝する町内の氏子が、仮宮を廃殿につるには忍びないという思いから、新たに鹽土老翁神(しおつちのおじのおきなのかみ)を迎えて、その名を鹽竈大明神として大事に祀ってきました。その後、明治20年に東北本線が開通すると、線路並びに仙台駅舎が東六番丁と名掛丁の間に造られたために、高福院は荒町・満福寺に合祀され、また、明治維新後は神仏分離思想が広まったために鹽竈神社の居場所がなくなってしまいました。そこで、町内の氏子有志が東六番丁を挟んで東側にすでにあった三吉神社(みよし神社・東六番丁29番地)の隣接地を買い求め、三吉神社境内に鹽竈神社を移築しました。そして平成14年2月、仙台駅東区画整理事業にともない、この地に再度移築されました。当神社は、安産・交通安全・縁結び・初恋成就などの祈願に多くの参拝者をあつめています。
- 地図