- 由緒
この神社は、白河天皇の永保年間(1081~1083)の創祀といわれ、山城国伏見稲荷神社の御分霊を勧請し稲荷大明神と称する。神社合祀令により明治4年9月保食神社(うけもちじんじゃ)と改称、村社に列する。昭和34年9月旅立稲荷神社と名称を変更する。旅立明神と称することについて、藩祖伊達政宗公が青葉山に城を定め、初めて参勤の際、当時、下河原五軒茶屋といわれた赤壁楼にて休息し、この社に代参を以て道中安全を祈り、日を経て無事に帰着したので神恩に感謝し、直ちに神祇官に奏請して「正一位旅立大明神」を賜り、「旅立明神」の社号を奉ったと伝えられている。爾来、藩主参勤の際には赤壁楼より道中の安全を祈ったといわれている。
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