- 由緒
2代藩主伊達忠宗公は、東照大権現を伊達家の守護神としてお祀りするため、慶安2年(1649)5月に東照宮造営を3代将軍徳川家光公に願い出て許しを得同年8月普請始を行い、本殿、唐門、透塀、幣拝殿、本地堂、御供所、御厩、鐘楼、随身門、石鳥居、別当寺仙岳院、御旅宮等が完成したのは、着工以来5年後の承応3年(1654)3月である。社地玉手崎の丘は天正19年徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えて帰途のおり、当時天神社の境内であったこの地で、藩祖伊達政宗公と休息された故事により社地に選ばれたという。造営に携った総人数は834,835人、総工費小判22,443両を要した。仙台藩総力をあげての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものである。以後伊達家の守護神として歴代藩主に崇敬され、旧時は9月17日を祭礼日とし藩主在国の年には城下の町々に命じて神輿渡御の先駆として山車をくりだした領内最大の祭りで、これを仙台祭りと称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。明治維新後、藩の保護を離れたため境内は一時荒廃したが、氏子の尽力により整備され明治12年郷社に列し、祭典日も4月17日に改められ、大正14年には県社に昇格した。昭和10年8月不慮の火災により幣拝殿、神饌所が焼失したが、昭和39年原形に復興される。昭和28年3月、本殿、唐門、透塀、石鳥居が国の重要文化財に指定される。(随身門は昭和55年3月追加指定)。昭和52年3月には唐門、透塀の大修理が、54年には本殿の修理工事が行われ、創建当初の荘厳華麗な姿に修復された。平成3年秋には御大典記念事業として、表参道整備工事、車道舗装工事を実施。平成15年には御遷座350年奉祝記念事業として行なわれた参集殿、社務所改築工事が竣功し、境内は尊厳と安らぎのある神域として整備された。
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