- 由緒
往古より白山の神詞は六奥の鎮守として国分木ノ下の林中に有り国分寺の創建以前の勧請と伝え十八伽藍を安置地主権現として大神を祀る。文治5年8月12日源頼朝、藤原泰衛を追い国分原の戦に兵火罹り、その後国分の鎮守として旧跡に就て社殿を構え、3月3日の神事には家臣が流鏑馬を行なったという。藩祖政宗これを崇め仙台の産土神と定め四万銭を寄進した。寛永17年9月28日忠宗公改装、国分士36人を置き厳粛なる祭祀が行なわれた。明治4年7月郷社に列せられる。昭和30年3月25日本殿を県重要文化財に指定さる。現社殿は素木の1間社流造柿葺屋根を持つ。江戸初期の神社建築の秀作で破風板の流麗な曲線や古雅な懸魚の美しさに江戸時代の優れた手法が見られる。社殿の位置はしばしば移動したらしく近年まで国分寺七重塔の礎石上に建っていたが現在は江戸初期の位置に近い塔跡の西方に移築修復されている。白山神楽も永い歴史がある。この神楽を丹波流白山神楽という。この神楽で使われていた龍王の面、納曽利の面が平成14年2月7日仙台市有形文化財指定受く。
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