- 由緒
康平年中長部民部之丞諸能、栗原郡迫郷長部荘に勧請して守護神としたが、諸能没落後その長子若狭之助諸門浪人となり、この地に居住し、社もここに移した。その後、伊達政宗仙台城に移ってから当地を小田原弓ノ町と名づけ、足軽1組を備置き、この神を祀らしめた。文化4年3月5日、火災のため社記一切を焼失したので、由緒を正確にしることはできないが、そのころ氏子の代表斎藤某が率先して再興に尽力したといわれる。明治維新後荒廃に達したところ大正14年に至り改築の計画をたて昭和4年9月、社殿、社務所、神輿庫、末社まで完成。平成13年3月仙台市の土地区画整理事業に併せ移転改築工事を行ない、同9月社殿を始め、境内地、社務所、稲荷社、神輿堂、石鳥居、狛犬を西へ60メートル移転し現在に至る。
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