- 由緒
桓武天皇の延暦17年(798、平安)坂上田村磨男山八幡宮の分霊を勧請して社殿を造営す。往古生巣原八幡宮と称した。康平5年(1062、平安)源義家武甕槌神を祀って戦勝を祈るという。後醍醐天皇の御宇元弘2年(1332、鎌倉)陸奥守北顕家多賀城に在る際、社殿を修造し弓矢並びに太刀を献じ武運を祈った。故に、北畠八幡宮の称あり。文禄年間(1592~1595、安土桃山)国分盛重この地に築城するに及び鎮守神として尊崇す。後、仙台藩主歴代伊達氏の種々奉献することあり篤くこれを崇め、宮城野八幡と呼んだ。明治5年5月村社に列せられ、同40年3月幣帛供進社に指定をうけた。昭和20年戦災に遭い、同27年現在の地に社殿を新営遷祀して今日に至る。
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