- 由緒
日本武尊東征の砌りこの神の御神助によって平定した御神徳に奉謝して勧請したと伝える。(社伝)皇室の崇敬篤く清和天皇貞観元年正月27日即位の恩典により郡内零羊崎神社と共に進階、従四位下に昇叙さる。延喜の制、名神大社に班す。(三代実録、延喜式)古く箱崎山(箱山ともいい、高三尺・横五尺程の石あり。これを箱石・手箱石ともいう。)上に御鎮座ありしが、寛文年中山麓に遷祀して箱崎明神という。葛和田蔵人といえる者が社務を司る。その家亡んで後、修験明王院別当となる。(封内風土記)凡明治40年5月この社をさらに麓の箱崎八幡神社に合祀して社号を拝幣志と改称した。社殿は天保14年上棟、昭和30年改造にかかる。
- 地図