- 由緒
斎下字宮前鎮座。祭神は奥津比古命、奥津比売命の二神である。傳うるところによれば、本社は永延2年3月19日山城国住人三条小鍛治宗近此の地に来り、社殿を営み当神を勧請し、三寶荒神剣宮と号し、身洗地を掘り、斎戒沐浴して三禮、一刀の陣太刀を鍛えたところである。天喜5年源頼義奥州の安部氏を討つ際、社領を献じ朝敵敗滅官軍凱勝を只管祈願せられ、再び此の地に於て陣太刀を鍛えきせた。爾後大崎氏の封土となってから社石を献じ崇敬怠りなかったが、天正18年大崎氏亡びるに及んで、祭祀漸次衰え社領も掠沒された。而し村民は神徳を慕い奉り、小社を結んで厚く祭りを行った。其の後伊達氏玉造郡岩出山城に封じられ、当社に神額を寄進し領土の安泰を祈った。明治5年5月村社に列格した。別当はもと、耳取の観水寺当社執事であったが、安永2年以来新沼の亀谷山穏城寺若寶院奉仕し、明治維新後社僧廃止され神職を置くに至った。昭和21年2月11日宗教法人令により社格が廃止された。境内162坪、氏子47戸、毎年3月25日、9月18日の二回を祭日としている。境内神社として天神社、金刀比羅神社の二社を祭っている。天神社の祭神は菅原道真で、後光明帝御宇、慶安3年勧請されたものである。金刀比羅神社の祭神は大物主命、崇徳天皇で明暦2年勧請されたものである。
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