- 由緒
本社は称徳天皇の天平神護元年(765、奈良)の創祀と伝え(社伝)、もとの鎮座地は、今の地より北方八丁「下り松」(桜芽村)に在りしが、元禄6年伊達公族石母田氏の祖頼章在所を定むるにあたり荒雄川北岸現在の地に移し奉る、(社記)清和天皇の貞観元年(859、平安)即位の恩典により従五位勲四等から従四位下に進められ、延喜の制名神大社に班す。(延喜式)元別当桜目寺あり維新の際伊達藩が封を削られこの地は一時宇都宮藩の取締地となり、旧記、宝物など悉く没収され明治に及んだのである。(社記)明治5年4月郷社に列せられ、同40年3月共進社に指定された。翌41年2月村社鹿島神社を合祀する。(社記)
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