- 由緒
正親町天皇の御宇元亀元年(1370)、9月9日大崎義隆公家臣大隅英俊氏、紀州熊野三権現の神徳を追感し奉り之を御分霊して吾領内に社殿を(南向3間造り)造り村鎮護の神として勧請せし所なり。其の後天正18年(1590)豊臣秀吉公小田原城主の北条氏政を征するに際し大崎義隆公に麾下参着の命あり、然るに当時大崎氏領内に一門の内訌有し為豊臣秀吉公に参詣せず、これが為大崎氏の領地没収せられ伊達政宗公の封土となる。故に、大崎氏は諸臣と共に離散断絶し又飯川大隈英俊氏も主家と共に亡ぶ、此の時社殿、宝物、什器悉く兵燹の為に煙滅せり。但し御神体のみは一世中興開山大法院に依り奉遷したり、故に祭祀一時絶えたり。其の後、後陽成天皇御宇慶長2年(1597)8月村民に於て社殿の再建を起し慶長3年(1598)9月9日完成を見る。もつて御神体を遷座し奉り祭事を復興し厚く祭祀せり。従来毎年春秋には荘厳なる祭典を執行し来しなり。社殿は建立以来二百有余年の星霜を経たるに依り甚だ朽破せし為、東山天皇御宇享保元年(1716)9月改建せり、明治4年(1871)10月村社に列格なりて熊野神社に改める。又昭和43年(1968)社殿修復、其の後も再三修理を行ない維持につとめる。平成3年(1991)御本殿、幣殿造営を完成し現在に至る。
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