- 由緒
羽山神社(別名:羽山権立社)は県「風土記御用書出」によりますと大同4年(809年)坂上田村麻呂将軍の勧請によると言い伝えられています。また「小奥村大宝院書出」には天文13年(1544年)中興と記されており、古い神社である事が分かります。同書によりますと羽山神社権立は安永6年頃(1777年)厚板屋敷の金十郎の屋敷内に仮宮があり、いつも御神体を安置しておき、お祭の時に羽山神社(奥宮)に遷宮(移し)神事を行ったとあります。又、勧請年月不詳なるも、社蔵の神器に「天正(1578、桃山)6年佐藤新吉奉納」とあり創祀はその以前にありしこと分明なりとす。元羽山大権現と称したが明治6年羽山神社と改敬されて来た社である。古くから男児七歳に至れば餅一升を7個に丸め背負へ羽山神社(奥宮)まで登山しこれまで幼児から少年までの成長を神様に感謝し今後も健やかに育つことを願って参詣(神事)を行っています。村内のみならず遠く市郡外からも登拝する者が多い。羽山山(別名:権立山)の「はやま」とは連山の端に位置する山をそう呼ぶそうです。犬卒都婆の羽山も西の方、大萩山方面から連なる山々の東端に位置する山で、標高209Mの富士山に似たきれいな山でした。〓は閖上(現、仙台空港)方面、太平洋が見えました。現在、平成16年2月6日交付文化庁より(国)無形民族文化財選択(第515号)を受与いたしました。(白石市教育委員会の方で平成11年頃よりご尽力を賜りました!!)
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