- 由緒
神社の鎮座地一帯は湯口と稱し清口湧口現在6ヶ所有(以前は7ヶ所)。伝えるところによれば、往古温泉が有った。御水尾天皇の元和9年4月刈田嶽が爆発し寛永元年になっても熄まなかったので貞山公(伊達政宗)は明人王翼をして之れを祭らしめたところ、温泉変じて冷泉となった。爾来この地方に旱魃の心配がなくなったので村民は祠を建ててこれを祭ったという。明治、大正、昭和の時代を経て平成に至る。現在もつきることなく、清水湧き出て部落200戸の家庭の命の水、宝の水として利用されている。小学校のプールの水もこの水を使っている。尚余った水は道に添って流れる小川にそそぎ各家庭で野菜を洗ったり、灌漑に利用されている。
- 地図