- 由緒
勧請月詳でないが、古くからこの地に鎮座され、正一位稲生大明神と称した(文化11年2月正二位藤原朝臣経朝書奉納額)その後、嶌館神社(文化14年3月奉納額左近衛権少将源定信書)明治の初、大河原町字新田町に移祀。幾もなく再び現在の境内に復帰した。明治5年3月村社列格、大正7年4月神饌幣帛料供進神社に指定された。境内社八雲神社は文久3年大河原邑豪高橋與右エ門なる者、槻木入間田の八雲神社御神霊を乞奉斎のせらる。国霊神社は、昭和20年1月大東亜戦争終戦の際、柴田農林学校に在置せる御眞影奉安所の交付を受け境内に移築し、町内の戦死病没者の英霊を祀り、堂内に各霊璽を安置している。尚、現在の嶋館神社拝殿及び社務所は昭和50年に改築したものである。
- 地図
- 動画