- 由緒
入間田に鎮座。八雲神社の旧称号は、祇園宮(除屋敷等控帳、入間田村風土記御用書出)、牛頭天王社(除屋敷等控帳、入間田村風土記御用書出)、祇園牛頭天王(入間田村鎮座祇園社別当大正院歴代家系)。当社の創立は第82代後鳥羽天皇の御代文治5己酉年(1189)陰暦6月10日、源義経の臣鈴木三郎重家の家臣水原平兵衛重氏の勧請するところにして、重家は紀州熊野藤代郡の産なり。源頼朝、藤原氏をして義経を討たしめんと聞き、義経の知遇の厚かりしを知り、弟の亀井六郎重保(シゲヤス)とともに国を出て、山伏の姿となり辛うじて平泉に至りし頃は、文治5年閏陰暦4月28日にして、義経兵力悉くつき、翌日衣川の舘、遂に陥り、義経以下戦死せり。兄弟今はこれまでと、共勇戦して討ち死にす。家臣水原平兵衛重氏、主の遺命令により鈴木氏の氏神祇園牛頭天王のご神体を背負い来たり。現在の地を卜して住民と力を合わせて山岳を切り開き祠を創祀せるなり。慶長13年(1608)聖護院宮興意法親王、諸国御巡行の砌、当社に御参拝の上(社参し)御一泊なされ、その際、寺山号を医王山大泉寺と賜わる。文化年中藩主伊達氏の武運長久を祈願。爾後、毎年正月3日祈祷をなし、御附を献上せり。伊達氏より三貫文田を封じられ社領に充てられた(地頭伊達勝三郎より社領3貫文田寄進)。明治4年(1871)2月8日八雲神社と改められ村社格に加列(列せられる。)。同7年6月郷社に昇格。同40年(1907)3月1日、神饌幣帛料供進神社に指定さるる(社領文書)。宗教法人により昭和21年5月25日届出、同年6月10日承認さるる。
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