- 由緒
平城天皇大同2年(807)坂上田村麿の勧請と伝え、保食神を祀るを以て斗蔵山と名づけた。元斗蔵三社大明神と称し(稲荷は中央、山王は左、白山は右の三社)斗蔵山頭の安居山斗蔵寺の鎮守社であった。寛政年中(或は万治年中とも)野火の為社殿古記録が烏有に帰した。境内に隣りして斗蔵寺があって千手観音像を安置している。もと本寺の住職が神社の別当を兼ねたのである。明治5年村社に列せられた。本社は小児の虫よけの神様として広く信仰される。即ち虫の根を切るというので鋏をあげ、榧の実をあげて祈願する風がある。虫気のあるものはこの奉納品を一時借りて成就の際には倍にして奉賽するのである。境内は2850坪あるが、これに接する山は温帯北部に於ける樫の密生林なので国有保安林学術参考林になっている。
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