- 由緒
阿武隈川の東側は長年相馬の支配下にあった。伊達照宗、政宗親子がこれを奪還したのが天承12年(天正落城)。難攻だった砦金山城に配されたのが、この役で功あった中島伊勢守宗求。金山・伊手・大内の二千石を領した。元和元(1615)年5月6日、領主中島宗勝が政宗に従って大阪夏の役に出陣し、信州諏訪神社への選勝祈願適って、帰途に御分霊を頂き、伊手・大内・金山三村(金山領内)の総鎮守として、北方山頂に鎮座、諏訪大明神と称した。貞享3(1686)年11月中島宗盛の代二間四方の新宮造営。嘉永2年一明院護摩堂が平地に遷った後地に当神社を山頂より下ろし鎮座。元治元年大嵐・山崩落で崩壊し、慶応元年10月9日現社殿建立に掛かり、慶応3年11月1日より3日間遷座行事を斎行した。明治5年まで「諏訪大明神」、その後「諏訪神社」と改称して今日に至る。本殿は総欅一間流れ造り、拝殿両翼に右大臣左大臣像がある。本殿は昭和61年6月15日町有形文化財に指定され、今日に至っている。
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