- 由緒
明治12年6月30日、亘理藩祖伊達安房守成実(従四位下奥州探題伊達稙宗「政宗の曽祖父」第三子実元嗣子)の民政殖産の功を讃え、特に伊達政宗を輔けて東奥を鎮定し人民を撫恤したる勲労を表さんため神号を武早智雄命と奉り、永くその特沢に報えんと亘理郡民挙って神に祀らんことを、時の宮城県令松平正直に請願許可を得て、臥牛館の本丸跡に社殿を建設し亘理神社と称した。また、社の標扁諱及び竹に雀の徽号は越後国主上杉家より贈られたものである。本殿は明治31年に改築したもので、総榧材を用い間口八尺奥行七尺で神明造り、屋根は千木、鰹魚木を置き銅板葺である。その後、明治40年の政府法令の神社合祀を以って、後記5社を合祀した。明治41年11月11日村社に列し、昭和7年3月30日には神饌帛料指定社となった。また、境内には赤城神社合祀の際お遷した木花開耶姫を祭るお産の神、山王社が鎮座している。更に、昭和13年9月亘理国防婦人会が九州の宇佐八幡宮より分霊をいただき、創建した八幡社も建っている。みまつりは、毎年4月16日(現在は前後の日曜日)で、桜花爛漫の期に行われ、昔は柔剣道の奉納試合や芸能の奉納(現在も存続)、及び神輿の渡御に供奉する武者行列は新地や駒ヶ峯から武者装束で馳せ参じ、騎馬隊二百頭余りを数え千余人(現在は子供神輿が再興している)もの行列であった。
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