- 由緒
本社は寛永12年3月20日、亘理美濃守重宗の勧請にして、新浜湊神社といった。正保2年米沢城主上杉播麿守、金若干を寄進し、京都吉田家に宗源宣旨を請い大明神の神号を受け川口の二字を附け、川口大明神と奉称したのである。天和3年に至り当地漸く開け人家83戸となる。此の時、地名、新の字を荒と改めた。享保15年11月阿武隈川口閉塞し廻船出入困難となったので藩主伊達綱村公は当社において祈念を籠めたところ、川口は忽ち開け通船常の如くなった。因って自書の扁額及び家紋竹に雀の幕を奉納した。之より藩主、領主並び地元民の尊信愈々厚きを加え明治に及んだのである。(もと別当成就院あり維新の際廃した)。明治5年11月川口神社と改称、村社に列せられ、同40年3月供進神社に指定された。同年高須賀の雷神社をはじめ同42年3月字藤倉の湊神社、字水神の水神社、字八幡の八幡神社の4社を合併奉祀して今日に至る。
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