- 由緒
平城天皇の大同2年(807)、丁亥釈徳逸(徳逸大師)の創建するところにして、牛頭天王社又は祇園社と称した。(社蔵棟札)。御神体は後奈良帝の享禄4年(1531)齋(佐井)越前(諱不伝)なる者廻国巡礼の時、筑土に覓めて負来り、神殿に安置すといはれる。(封内風土記)。又、応永16己丑年(1409)2月、藤波尭雄なる者、陸奥按察使に任ぜられ此の地に赴く。同18年6月按察するところの陸奥国の土地民情を奏上した。同7月功に依り本郡の地百町及絹布2匹を賜った。同12月賜うところの地を以って社地並低地に定めた。初陸奥按察の発向するや、伊勢大神宮に詣で事由を告げ、又神祇官より素盞鳴尊の神璽を乞い求め来り、笠野の里に斎き牛頭天王と称し鎮守とした。同19年3月、尭雄神職に任じ祭祀のことを掌る。享禄4年6月15日祭儀を行った。爾来永年となすという。(社伝)。明治2年4月八重垣神社と改称、同6年1月村社に列せられ、同40年3月供進神社に指定された。同42年1月大字小平字北に鎮座せる村社北辰神社をはじめ、同字舘鎮座竹駒神社、大字大平字味噌野の雷神社、大字高瀬字新浜の諏訪神社を合祀した。境内社の熊野神社は貞享3年10月18日、本郡笠野浜本山派修験祇園山宝積院七世秀定なる者の勧請するところである。
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