- 由緒
承和9年(842)参議小野篁陸奥国司に任ぜられ、陸奥国磐前郡を通過の際、1人の童子あり、地方の風土民情を上告す。直ちに教導を命ぜられ、当村迄随行する。彼の童子曰く、予が居住は此の深山なりと、忽黒狐に変じ黒雲に乗じて姿を消した。篁奇異の思をなし村老某を召して其の事由を示した。依って自今小祠を建て、総黒稲荷と称して崇敬し、毎歳7月28日を以って祭日となすべき旨を命じた。地方民は挙げて尊信した。然るに後年誤称して尊久老稲荷と唱えた。正保元年地頭伊達成実神夢を蒙りて民間の業を助け、尊久老稲荷大神明と書写せる神旗を奉納したという。明治5年11月村社列格。同43年5月宇鳥飼に鎮座せる白山神社(安永2年勧請)を合併奉斎し今日に及んだ。
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