- 由緒
享禄2年(西暦1529年 室町時代)佐井越前氏(現在の斎家の祖先)が、戦国時代の統制と治安が乱れ、且つ天災(旱や、阿武隈川の洪水氾濫など)のため、飢饉に村民が苦しみ、生活が困窮し疫病に苦しむ人の後が絶えない有様を見て、五穀豊穣、疫病退散、牛袋地区の安寧を願い勧請(神様の分霊を迎えて祀ること)創建したと伝えられております。
また、社伝によりますと、大同年間(806~809年 征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷征伐のため北上の折)の創建で、永禄年間(1565年頃)には、社殿が不審火により火災になってしまい、全ての宝物等を消失してしまいます。しかし、慶長10年(1605年)に村民協力して再興したと伝わっております。
時は神仏習合時代でありましたので、社名は当初「牛頭天王社」と称しおりました。この牛頭天王は元インドの祇園精舎の鐘の守護神であり、京都の八坂神社の祭神となり、薬師如来の化身と称し、合わせて神速須佐之男命を祭神としたと謂われております。このことから通称「お天王さん」と親しまれて来ました。
慶応4年(1868年)3月に「神仏分離令」が太政官より布告された後、社名を「八雲神社」と改称し、明治5年(1872年)11月には神社の社格が「村社」に列格し、更には大正9年(1920年)7月に「神饌幣帛料供進指定神社」(町村から祭日に神様へ供物と初穂料を献ずる制度)に指定されました。
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