- 由緒
当社は延喜式内に載る所の名取二座の一座なり、景行天皇28年(紀元98年、皇紀758年)春2月、日本武尊東征のときに勧請される。雄略天皇2年(紀元458年、皇紀1118年)11月祭祀田として圭田58束を奉りて神禮を行う。(現在も字名に圭田と有る)。多賀神社の歴史は古く、日本武尊の尊が東北の地を治める為に、この地に至るとき、度重なる戦い、長旅にて、重い病にかかり柳の生い茂るこの温暖な地で病気平癒の祈願をし無事に治癒し大和に凱旋したと云われる、その時に祠を建て病気平癒と共に国家安泰の祈願をしたのがこの社であります。(この一帯を皇檀ヶ原と言う)。多賀神社の東南約800メートルの所に鬱蒼とした杜の中に白鳥神社が有ります(御祭神日本武尊)。日本武尊は柳の木で祭壇(神棚)を造り、病気治療をしたことで、後にこの地を「たなやなぎ(棚柳)」と呼び、なまって現在の「たかやなぎ(高柳)」となったとされます。明治4年2月郷社に列格、その後供進社に指定される。由緒有る古社にて領主国守の尊崇厚く、特に病気当病平癒、延命長寿、交通安全、旅行安全、厄除け、に御利益があり民間に於いても崇敬者多く領内近郊はもとより山形福島他地方にも及んでおります。
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