- 由緒
後奈良天皇享禄3庚寅年押分区民吉良右エ門と云者次男吉次郎と東海岸に至り農業魚漁を開き新民数戸に及ぶ新民一宇を建て鎮守神明宮を奉尊す。恵美直光之一の鞍を押分神明社に奉納、二の鞍を神馬後に置く後鞍を宮傍に埋め末社を建立(雷神宮と崇む邑の名称は則ち此の二の鞍に依りて号する所也老口伝えて云う。弘治2丙辰年伊勢の社人来り此の邑に久敷く居住す新民の内敬神篤志の者を撰み則ち佐吉伊三郎と議り伊勢大神宮に社参する事百度に至り御分霊迎え奉じて宮に鎮座す右社人を以て別当職を蒙り大僧都精圓坊となる恵日山東海山自福院と称す右社に奉仕す。明治3午年6月8日藩庁の命を奉じて飾を復し祠官と為り依て照井主膳と改め候。当照井左智馬迄弐拾四代右社に奉仕候也。
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