- 由緒
正親町天皇永禄8年(1565)4月8日国分氏家臣郷六大膳此の地に居を構え、山域国葛郡鎮座の松尾神社の御分霊を勧請し郷六氏の守護神としたことに創る。貞享4年藩主肯山公(伊達綱村)この地の景勝を愛し同山麓近くに楽寿園を設け梅樹を植え遊楽の処とした。享保年間藩主吉村公同山御用林用材を以て御神殿を改築し、参道には鳥居を建立して社参のことあり、忠山公(伊達宗村)亦地を倍し閣を造り四季の吟会雅想を惕られ、俗によんで郷六御殿と称した。又、同山の遊楽は独り観梅のみに止まらず、山内に茸を繁殖せしめ、保護し以て其の季に茸狩栗拾等を楽しんだ。このことは楽山公(伊達慶邦)の世まで行われた。又同山は雨請山として名あり、天保年間旱魃の折国分三十三ヶ村民登山祈願をなし霊験を得たといわれる。近郷の参詣者極めて多い。明治8年4月村社に列した。昭和36年2月郷六字宮囲の宇那祢神社を合祀する。
- 地図