- 由緒
平家の一族であった筑後守貞能が、奥州に来り、跡を宮城都大倉の山蔭に留められた。かの山城国乙訓郡に鎮座まします式内社小倉神社は、平家一族が尊崇したあらたかな神社であったので、この地大倉に隠棲されるや、ここに同社の分霊を勧請して厚く祀ったと伝えられているが、その時代年月日は明らかでない。その後、天正年間に当地の豪族大倉蔵人信成なる者が、武運を祈願して社殿を改造築して篤く祀ったという。天正19年(1591)に大倉家十三代の重忠が佐沼の役に戦死し、大倉家が衰亡するまで本社を篤く尊崇していたものと見られる。
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