- 由緒
創祀年月不明、文徳天皇仁寿2年(852、平安)8月辛丑、陸奥国、伊豆佐咩神に正五位を加え奉ったことが、「文徳実録」に見え、当国登奈孝志神、志賀理和気神と同時進階であり、これは風雨の止まんと請い給うたのによる。延喜の制小社に班す。近世、鹽竈神社の末社の一社に数えられ、明治13年3月に鹽竈神社の攝社に指定された。万治3年2月に類焼に罹り、社殿、悉く烏有に帰した。後、陸奥守伊達綱村公が神殿及び拝殿を建立し、祭典を行わせた。明治維新当時、神域は陣営となり、建物等は破壊され、しばらくの間、祭典を欠くに至った。明治9年村社に列し、大正5年12月、神谷沢、菅谷、沢乙の三熊野神社を合祀して、春秋両時の祭典を行い、氏子等が専ら維持経営に励み、大正9年に神殿及拝殿を新築し現在に至っている。尚、伊豆佐比賣神社は遠くは岩手県斯波郡赤石村に分霊されて大社として鎮座してあり、また近くには、仙台市青葉区岩切、畑中にも分霊されており、飯土井の長者向きの鳥居が立てられていて今も存在している。この神は女性で米作地帯の水の灌漑を第一に司り、秋の五穀豊穣へと農民へと精出の上、この辺一帯の往古から水田開墾以来日夜尊敬されていた神社であった。
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