- 由緒
太古鹽竈大神を扶けて教化を四方に布いた神といわれ、勧請年月は明でない。今鹽竈神社の四方に各社を配す。即ち当社は東方に鎮給うにより東宮と奉称し、西宮は岩切に、北宮は春日に南宮は多賀城にある。或は曰く。大野東人多賀城を置くの日、四方位に各神祠を営みて城の鎮護の神としたと。後、藩祖伊達政宗(貞山公)貞山渠(運河)開鑿に際し社地内に見張所を置いた関係から、寛永12年(1636)月晦日社殿を造営して以て報賽の誠を表し奉る。(棟札)明治44年12月字神明なる神明社を合祀。境内社の八幡社(紫根明神)は昭和10年我妻幸右衛門の再興にかかる。
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