- 鎮座地
- 主祭神
応神天皇
- 例祭日
どんと祭1月14日、春季例祭4月15日、夏越大祓輪くぐり7月31日、秋季大祭9月第3日曜日、島田飴祭12月14日
- 連絡先
022-345-6427(宮司宅)、022-345-4593(禰宜宅)
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- 由緒
元伊達家の支族飯坂の氏神で岩代国信夫郡飯坂に祀られていた。伊達河内守神宗清が飯坂氏を嗣ぐようになり、養母飯坂局とともに仙台市泉区松森に奉じた。その後、慶長16年(1611)大和町鶴巣下草に移住する。さらに元和2年(1616)宗清が今村吉岡城(大和町吉岡)に移る。間もなく元和4年(1618)春、八幡神社を遷宮し黒川郡総鎮守とした。寛文2年(1662)奥山大学常辰(5千石)柴田郡村田町より移封し、吉岡館拝領する。宝永7年(1710)社殿を造営された。拝殿、本殿、石の間が一つの屋根からなる。明和元年(1764)随神門を建立した。同2年石の狛犬2基を本村商人25人が奉献した。宝暦7年(1757)但木土佐顕行(1500石)東磐井郡大原より吉岡に移封される。但木氏がこの地を治めると崇敬の念甚だ厚く、但木直行が文化11年(1814)5月1日石の鳥居を寄進した。同14年(1817)3月伊達10代藩主左近衛権少将藤原斎宗が黒川鎮守八幡宮と自筆の額を奉納し、また祭祀料を供進した。嘉永年間には楽山公慶邦(伊達13代藩主)が旗一旈(りゅう)を納めた。明治5年(1882)村社(今村=現大和町吉岡)となる。昭和28年(1953)優れた石の間造りの神社建築として宮城県重要文化財に指定される(神紋巴建物本殿破風朱塗り3坪石の間2坪拝殿5坪)昭和39年8月6日随身門の屋根が損焼した。昭和62年8月13日落雷により社殿が萱葺き屋根より出火し焼失。平成元年9月14日新社殿が落成し、間もなく社務所、神楽殿落成する。参考文献 黒川郡誌、大和町史。
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