- 由緒
第90代亀山天皇の御字天皇の第三皇子継仁親王が奥州の国司に任ぜられ、正応4年(西暦1291年、鎌倉時代)舞野荘高田着任せられたとき、瀬織津姫命(阿弥陀如来)勧請したと伝えられる。また、八幡神は、継仁親王の後任として黒川下総守景氏(将軍源基氏の分流、文明4年歿)が鎌倉幕府の命によって着任高田御所を鶴楯城と改めここに住す。この景氏の生家である飯坂家の氏神であった。はじめ、宮城郡杉森に遷座したが、鶴楯城に移るに及んでこの社も、祀った阿弥陀如来とともに、下草の地に遷して黒川(飯坂)氏代々の守護神と仰いだ(後に、飯坂氏は宗清の代吉岡(今村)に移った。天和2年のことである。)。
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