- 由緒
黒川神社の起源は、多賀城主大野東人の臣大野三郎左衛門兼則7代の孫黒川郡三ヶ内城主報恩寺可則が仁和年間(885~889)智証大師作の薬師像を母の供養のため霊験あらたかな当所に奉斎するに始まると伝えられている。この薬師像は、源義家が東征に際し尊崇するところとなり、「袖振薬師」と称された。「安永三年風土記(1774年)」によれば、この薬師堂は「功徳山八聖寺」と言われ、黒川郡を領する黒川晴氏が特に「東方の薬師」として崇敬された。又、仙台城主伊達綱村公を始め、藩主の常に尊崇するところとなった。境内の鞘堂には、仁王像2体(永亨4年再興)と十二神将が安置されている。明治元年新政府によって、「神仏分離令」が発せられ、同5年薬師堂は村社黒川神社となった。現在の社殿は明治13年に建立されたものである。御祭神は薬師如来と通ずるところから「少彦名命」を奉斎することとなるが、命は「古事記」に登場する造化三神の一神である神産巣日神の子で、大国主命の国土経営に助力し貢献された。又、命は医療・医薬・禁厭(まじない)・酒造の道に優れた神である。氏子崇敬者は、今もって「お薬師様」とも呼び、家内安全・病気平癒・無病息災・災難防除・商売繁盛・子育て・交通安全・学業成就等を祈願している。
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