- 由緒
42代文武天皇大宝3年(703、飛鳥)巨勢麻呂当国に下り、同帝の慶雲2年(709飛鳥)保食神を奉斎したことに創るといわれ、43代元明天皇和銅2年(709、飛鳥)3月に至り巨勢麻呂は陸奥鎮東将軍に任ぜられたが此時神事を盛に行われた。聖武天皇の御宇按察使兼鎮守府将軍大野東人天平9年(737、奈良)当郡より出羽国最上郡玉野に至る道路を開鑿したが此時社殿を建立したという。延喜の制に小社に班す。社頭に巨石あり(長5尺、厚4尺、伝えて本社の奥院といい、右大弁巨勢麻呂石神として鎮祭とするところをいう。)因って本社を世人石神社と称す。後伏見天皇の御宇小野田朝日館主従五位下内海左京太夫社殿を再建して崇敬した。明治5年郷社に列せられ、同40年供進神社の指定を受け、同42年には鳴雷神社をはじめ八王子の諸神社を合併奉斎している。当社は主として五穀豊饒を祈るが、神饌には鳥類、卵は一切用いない慣しがある。
- 地図
- 動画