- 由緒
安永の風土記によると、勧請の年月日は不明。社地南北12間、東西12間、社南向、祭日9月9日、別当は志田郡志田村耳取羽黒派観水寺、地主は新屋敷喜惣右エ門と記してあるだけである。地元氏子の崇敬厚く、社殿の修理等がよく行き届いている。別当某、部落民と諮り平柳一本杉囲に社殿を建立したと云われる。その後、高川の水害を蒙る為、萱野であった現在の地に遷祀し、七鹿島と称して7社の社殿があった。後世に至り1社に合祀した。古来、高川堤防の守護神と崇められる。明治6年村社に列格。郷土史家として有名な三原良吉先生のお話によれば「貞観8年(866年)に鹿島苗裔神三座を加美郡に勧請す」とあるが、この鹿島三社の一つとすれば、千百四十年の歴史を有する古社である。
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